初詣はどちらへ?? この橋の付近は「是政」、地名の由来は・・・。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。多摩川にかかる是政橋から富士山を望んで見ました。
この富士山のように美しく壮大に、健康で楽しく過ごせる一年となるよう、頑張って生きたいと思います。
これは是政橋から府中方向を望んだところです。正面(右下)に見えるのは東京競馬場のスタンドです。
ところで、この付近の地名「是政」は戦国時代の武士の名前に由来していることを、ご存知でしょうか?
時々、我が家宛ての郵便に「是正(ぜせい)」などと間違えて書いてあることもあるので、ご存知でない人もいると思われるので、少し解説して みます。
東京競馬場の南側から多摩川にかけての地名「是政(これまさ)」は、井田攝津守是政(いだせっつのかみこれまさ)という人名に由来して いると言われています。井田是政は戦国時代に北条氏に仕えた武士で、八王子城にいましたが、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅びた 後、府中に落ち延びて戦乱で荒れ果てていたこの地を開墾し領主となったので、ここを是政と呼ぶようになったという、伝説的な人物です。
是政橋から徒歩10分ほどのところに、この「是政」を祀ったという八幡神社があります。
初詣には、是非この八幡様を参りながら昔のことを振り返ってみては如何でしょうか。
この神社の境内には「地名に残る井田是政」という、郷土カルタの標識が立っています。
さて、その井田家ですが、上の地図で分かるように東京競馬場の中に墓所があります。「井田是政墓」として都の旧跡に指定されています。 1933年、目黒にあった競馬場が府中に移設される際、井田家の墓も強制移転を迫られましたが、子孫が「先祖の墓の上を馬が走るなどは 許さん」と日本刀をふるって抗議したので、そのままここに残されることになったそうです。今でも競馬場の第3コーナー付近にありますが、 この辺での落馬事故が多く、競馬ファンの間では魔の第3コーナーとして恐れられているそうです。